群衆に紛れるか自分を見つけるか
こちらはニーチェの言葉ですが正直厳しい言葉だと思います。
でもこの言葉には「自分」と見つめ合い「自分の幸福」を追求する事の大事さが込められています。
この言葉の通り、人に流され、長いものに巻かれて生きていくことはとても簡単で安易な人生になるでしょう。
ここで問われているのは、あなたは果たして本当にそれでよいのですか?という事です。
決してその様な生き方を否定しているわけではありません。
どの様に生きても人生は個人の自由です。
私もかつて群衆の中に紛れ、なるべく私という個人を出さないように生きてきた人間なのでこの言葉はよく理解できます。
時に違和感があったとしても、その違和感を口にする事により自分がこの群衆から外されるのであれば、その違和感は胸にしまっておこうと隠していました。
しかし私の場合はそれでは幸福になれないと気づいたのです。
例え私の意見が隣のAさんと異なっていても、私は自分の意見を述べるべきである、と。
そしてたかが自分の意見を述べた程度で「友」から外されるのであれば、それはそもそも「友」ではなかったというだけの話です。
ただ一つ勘違いしないでいただきたいのが、自分を「目立たせる」ことと「際立つ」ことは似て非なるものです。
群衆の中に埋もれたくないから私は目立ちたい、それは違います。
なぜなら「目立ちたい」の自分の為であり自分にベクトルが向いている単なる注目を集めたい子供と一緒です。
一つの事をコツコツと陰ながら頑張って来て初めてその知識や技が際立ち、他の人から見つけられるのです。
他人から見つけられる人になれ
会いに来てもらえる人になれ
これは私の先生のお言葉です。
はい!はい!私ここです!!と自ら手を上げる必要はありません。
探してもらえる人を目指して私も日々頑張ります。
少しでも皆さんの心の気付きになれば嬉しいです。
今日も1日笑顔で過ごせますように。